いうまでもなく、本年春からの新型コロナウィルスの感染拡大は国内の医療機関とそこを受診利用する患者さんの受診行動に大きな影響を与えました。マーケティング的にこの事態をどう読み解けるかを、現時点で振り返ってみることにします。
医薬品マーケティングでは、環境分析のひとつとしてでPEST分析をすることはみなさんもご存じでしょう。ところがPESTは、「一応やっておかないと突っ込まれたときにとまずいので・・・」ぐらいの、やや消極的な意味で各ブランドマネージャーがやっている場合も実際にはありました。
今回の新型コロナは、事象としてはPESTのP(政治・レギュレーション)、E(対面接触の経済を含む周辺ビジネスへの影響拡大)、S(在宅勤務、学校、マスク着用)、T(PCR検査、ワクチン・治療薬開発)など、およそすべての分野にわたりPEST全体を書き換えるほどの変化をもたらしました。
製薬企業からみると3つのC、すなわち、顧客(医療機関、患者)、競合、そして自社のすべてがこのPESTの変化によりおおきな行動変化を余儀なくされたことがわかります。
ちょっと専門的になりますが、医療機関では受診する患者さんの持つ感覚知覚の一種に「コンタミネーション知覚」というのがあり、これは他者の製品使用の痕跡などの「接触」に対して患者さんが敏感になることを指します。これが医療機関の選択や受診行動に影響をもたらすことが従来医療マーケティングで言われていました。
今回はそれがさらに拡大してかなりの受診の抑制にもつながったと考えられます。(コンタミネーション問題については、恩蔵直人ほか「医療マーケティングの革新」(有斐閣)2018年の第8章「医療機関におけるコンタミネーションの影響」を参照)
このようにみると、PESTのなかには急激にステークホルダーに影響を与えるものと、少子化のようにじわじわとボディーブローのように確実に一定方向に行くものがあります。DX(デジタルトランスフォーメーション)の流れはどうでしょう?
筆者は、Covid-19ほどは急激ではないものの、その変化は同等以上の範囲の大きなインパクトを持つと予想しています。まさに百年に一度の変化なのだと考えます。
医薬品メーカーでは、医療機関を訪問できなくなることから、MRの活動や臨床開発(治験)に制限がかかりましたが、医師が必要とする医薬品情報提供の形態がMR訪問からデジタルへ実際どのように進んだのでしょうか?
MRによる直接の訪問ができない、ないしは大幅に減少したなかで、デジタルの評価は上がったのでしょうか?さらに、こうした変化を我々はどう把握して、そこに最適な対応ができるでしょうか?
憶測や、少数例の意見で語っても全体像が把握できませんから、包括的な調査が必要でしょう。また「医師が必要とする医薬品情報」というのも、かなりあいまいな概念です。医師にとって(治療上)関心を払う大事なクスリ(関与度の高い製品)とそうでない製品とでは、用いる情報チャネルが異なることは容易に想像されます。
さらに医師と言っても、内科系と外科系医師で異なるかもしれません。さらに、自社の(専門)領域、診療科の医師に聞かなければ、「医師一般」の調査では解決策を出すのは難しいでしょう。
弊社(マーケティングインサイツ)では、2019年2月に神経内科医師を対象にデジタル情報とMR情報がどのように、実際にチャネルとして使用され、評価されているかを調査しました。このときの結果をコロナ前データとして、本年8月中旬に再度同じ調査を行いました。
結果は今集計中で10月の日本マーケティング学会で発表する予定ですが、いまのところ、「コロナの影響を受けて、MRからデジタルへのシフトが医師の意識の中で大きく進んだ」とは、どうも単純に言えないような結果があります。それについては、ちょっと複雑な気持ちになりますが、今はこんな解釈をしています。
これまで「MRと会うのが煩わしいし、情報のクオリティーも低い、対応も悪いのでできればオンライン化デジタルに代替させたい」と思ってた医師が2割か3割でもいたとしたなら、今回のコロナはまさに変化の(最大の)機会だったかもしれません。
しかし、そんな医師はもうとっくにMRを見限っているはずですから、MRのチャネルが残っているにはそれなりの医師・医療機関にとってのベネフィットがあるのです。
こうしたことは、医療に限らず他の業種でも、今現在、非対面・非接触を工夫しているビジネスはおそらく同じ傾向でしょう。MRのオフライン面接もそれなりに効果があって、これまで継続してきたのですから、コロナの事態でもデジタルに簡単には移行しないのでしょう。
むしろデジタルの良いところを取り入れてオンラインとオフラインがシームレスにつながるかたちがこれまで以上に志向されてゆくことを、この調査結果は示唆しているのではと予感しております。
もちろん、これは神経内科医での調査ですから、糖尿病を治療している医師や、肺がんを診ている医師が同じとは言えません。前に述べたように、自分の診療領域でしっかり調査を行ない、確かめて、ファクトベースで社内の議論が進められたら良いですね。
N=150ないし200の調査ですから思い立てば、ブランドマネージャーがやれる範囲だと思います。(調査票をご覧になりたい方はマーケティング研究協会問い合わせフォームよりご連絡ください)
MRのチャネルは残るのか?
これは少なくとも以下の2つの点で残るといっていいでしょう。
まずは、MRが先方の求めるレベルやクオリティーを満たしていること。当たり前ですが、イラつくような接客しかできないスタッフならロボットに代わってほしいと、思うはずです。残るMRは品質が今まで以上に重要になります。いつでも質問ができる、納得行くまで聞ける、非公式な情報も会話できるなど、対面でのメリットは高品質なMRであれば圧倒的に強いのです。
対面しながらもデジタルをうまく活用させ、いかに顧客が摩擦や痛みを感じないで、薬剤の使用経験を積み重ねられるかを設計することが大事になります。マーケティングの文脈ではサービスデザインの設計を指します。
もうひとつは、医療用医薬品は産業財の性質をもつので、BtoBマーケティングとして、施設への採用(口座開設)は、やはりパーソナルセリングを必要とするだろうということです。全くの新製品をデジタルだけの力で、医療機関の関係者に認知・理解・採用してもらい、試用から定着までフォローするのは、現在のデジタルのツールではやはり力不足のように感じます。MRによるフォローが当面は欠かせないでしょう。
このように、MRチャネルが残るには、MR品質の向上(プラスデジタルとの相補性)、そして、新製品発売という条件が要るはずです。今後、情報の種類やタイミングを含めて、使い分けの仕方が詳細にわかってゆくでしょう。
OMO(Online Merges Offline)と呼ばれるオンラインとオフラインの境界が消滅した世界の入り口が近づいています。マーケターは、PESTの変化であるコロナとDXを同時体験していることを自覚して、さらにあらたなことに挑戦できる時期かもしれません。
筆者
株式会社マーケティング・インサイツ 代表取締役
尾上 昌毅
北海道大学薬学部卒業後、プリストルマイヤーズ、キリンビール(現協和発酵キリン)、ノバルティスファーマに勤務。11年のMRを経 験後、教育研修室長、プロダクトマネージャー、マーケティング部長、事業戦略部門長、抗がん剤部門長などを歴任。2009年より現職で医薬品マーケティング研修・コンサルティングを手掛ける。患者さんや医療従事者のインサイトを取り入れた、ブランドプラン作りとプロマネ育成をミッションとして追求している。